異名はボクサーのスタイルを表す
昔から、多くのボクサーには異名・ニックネームがつけられております。
古くは、伝説のボクサーである初代ヘビー級王者ジョン・ローレンス・サリバンが約140年前に王座を戴冠した時は、「ボストン・ストロングボーイ」と呼ばれていました。
昔のボクサーの有名な異名
「ガルベストンの巨人」と呼ばれたジャック・ジョンソンは、黒人初の世界ヘビー級王者です。当時、想像を絶する人種差別が存在した頃で、なかなか世界挑戦ができなかったのですが、1908年12月に遂に世界王座を奪取しました。リング・マガジンの創始者であるナット・フライシャー 氏は、ジャック・ジョンソンこそボクシング史上最強のボクサーと言っておりました。
「マナッサの人殺し(マナッサの屠殺人)」と呼ばれたジャック・デンプシーは、批評家の間で敵を打倒する強烈さにより、史上最もパンチが強かったと言われております。
2m近い身長で体重が120キロの巨漢王者のプリモ・カルネラは、「動くアルプス」と呼ばれておりました。
日本人ボクサーや現役ボクサーの有名な異名
日本人ボクサーなら、辰吉丈一郎選手の「浪速のジョー」、ファイティング原田さんの「狂った風車」、井上尚弥選手の「モンスター」、具志堅用高選手の「カンムリワシ」が有名ですね。
また、海外の現役ボクサーなら、サウル・アルバレスのカネロ(赤毛)、ワシル・ロマチェンコのハイテク、ノニト・ドネアのフィリピーノ・フラッシュ、ジャモール・チャーロのヒットマン、ジャーメル・チャーロのアイアンマン、ファン・フランシスコ・エストラーダのエル・ガジョ(雄鶏、鶏)が有名です。
カッコいい異名ベスト10位から6位
それでは、カッコいい異名でそのボクサーの業績にマッチしている呼び名のベスト10を決めたと思います。
10位は「エル・テルブル(恐怖の男)」エリック・モラレスで、9位は「童顔の暗殺者」マルコ・アントニオ・バレラです。
この両雄は、2000年初期に3回戦いましたが、3戦とも火花を散らす打ち合いを展開しました。
8位は「リアル・ディール」のイベンダー・ホリフィールド。ロス五輪の準決勝でレフェリーの「ストップ!」とほぼ同時に左フックで対戦者をノックアウトした瞬間、反則負けにされ、金メダル獲得の夢は打ち砕かれ、銅メダルに終わった。その時、同じアメリカ代表のボクサー達が、「ホリフィールドが本物の金メダリスト」と言ったことから、「リアル・ディール」と呼ばれました。
7位は「ライツ・アウト」ジェームズ・トミー。ライツアウトというのは、対戦相手の命を消し去るという意味です。ミドル級だったジェームズ・トニーは、4階級上のヘビー級(約30キロも重い)まで上り詰め、真実の男ホリフィールドをライツアウトしました。
6位はマニー・パッキャオのパックマンです。ライト・フライ級でデビューし、初戴冠はフライ級のパッキャオは、どんどん階級を上げ、バレラ、モラレス、オスカー・デラホーヤ、リッキー・ハットン、ミゲール・コット、アントニオ・マルガリート達を飲み込んで行った姿は、正しくパックマンでした。
5位 アイアン・マイク
マイク・タイソン 元統一世界ヘビー級王者
元世界ヘビー級王者マイク・タイソンは、アイアン・マイク、鉄人と呼ばれました。
全盛期は頭をカスッただけで倒すパンチ力で、ボクシングだけでなく、全ての格闘家で一番強いと誰もが信じていました。
左フックでKOされたエディ・リチャードソンは、こんな酷く打たれた事はあるか?と聞かれて「あった。一年前にトラックにぶつかった時だ」と答えたほどのパンチ力を誇りました。
4位 スーパー・エクスプレス
シュガー・レイ・レナード 元世界5階級制覇王者
モハメド・アリが引退し、ボクシング人気が一気に下降する時に現れた救世主。マッハのスピードの連打&フットワークは「スーパーエクスプレス」と呼ばれ、絶大な人気を得ました。
また、「ヘビー級が動くが如く、ボクシングは動く」とされたボクシング界の常識を覆して、ロベルト・デュラン、マービン・ハグラー、トーマス・ハーンズらと歴史的なビッグファイトを繰り広げ、「黄金のミドル(中量級)」時代をクリエイトしたボクサー。
3位 ザ・グレイテスト
モハメド・アリ 元世界ヘビー級王者
アリはアクティビスト、セックスシンボル、そしてポップカルチャーのアイコンとして、書籍、映画、音楽、ゲーム、テレビ番組などを含む数多くのジャンルで取り上げられてきた。
そんな、アリは「世界で最も有名な人物」と呼ばれることも多く、またアスリートとしては「世界で最も偉大なアスリート」とされております。(2位はベーブ・ルース、3位はマイケル・ジョーダン)
2位 褐色の爆撃機
ジョー・ルイス 元世界ヘビー級王者
ジョー・ルイスは世界ヘビー級王座を25度防衛しました。これは、全階級を通じて最多防衛記録であります。
リング・マガジンが決めた歴代最高パンチャー(強打者)で1位に輝くほどの強打者で、史上最高ボクサー部門ではヘビー級で2位(1位はモハメド・アリ)とされております。
1位 拳聖
シュガー・レイ・ロビンソン 元世界ウェルター級・ミドル級王者
1940年から1965年まで戦い、174勝(109KO)し、ボクシング史上パウンド・フォー・パウンドで最高位とされております。
以下ウィキペディアからの抜粋ですが、1940年代半ばにおいて、すでに現代のボクシング技術と比しても遜色のない、リズミカルなフットワークやダブル・トリプルコンビネーションなどを当然のように駆使した技術的先進性。モハメド・アリやシュガー・レイ・レナードの先駆けともいえる華やかなボクシングスタイルとスター性。そして同時代を生きた強豪とことごとくグローブを交え、そのほとんどを打ち破り、歴史に残る数々の名勝負、芸術的ノックアウトシーンを実現した圧倒的実力。いずれをとっても史上屈指の万能な存在であり、後世の名選手達に多大な影響を与えた。
日本人ボクサーのかっこいい異名
最後に、日本人ボクサーでかっこいいと思った異名を3つ列挙します。
シンデレラボーイ
元世界フェザー級王者 西城正三
西城選手は、なぜシンデレラボーイと呼ばれたのでしょうか?。
1968年9月、無名ボクサーだった西城選手が、一晩で世界チャンピオンになって、アメリカから帰ってきたからです。
戦績もぱっとしない日本フェザー級のランキングボクサーだった西城選手は、メキシコとアメリカで武者修行をしながら試合を行い、当時の世界チャンピオン、ラウル・ロハスに判定勝ちし、凱旋帰国をして時の人となりました。
KO仕掛け人
元WBC世界スーパーバンタム級王者 ロイヤル小林
パンチパーマにひげの風貌、積極的に倒しにいくハードパンチャーで、時代劇のタイトルをもじって「KO仕掛人」と呼ばれました。
キャリア35勝のうち、27ものKO勝利を飾りました。また、ロイヤル小林選手は、KO率以上に、アレクシス・アルゲリョ、ウイルフレド・ゴメス、エウセビオ・ペドロサという時代を代表する名王者を相手に世界タイトルマッチを戦ったことで、その名を知られました。
アンタッチャブル
元WBC世界スーパーフライ級王者 川島郭志
川島選手は、日本プロボクシング史上屈指のテクニシャンとも称され、その防御技術は”アンタッチャブル”(触らせない)と称され、世界的にも高い評価を得ました。
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