海外でボクシングオタク度が加速

ボクシングオタク

ボクシング引退後

ボクシング部を引退し、社会人になってからは、世界6階級制覇王者(海外では8階級制覇と紹介されます)マニー・パッキャオに魅了されました。

というのも、私は2008年から2020年まで海外(アメリカ、フィリピン、インド)で生活をしていました。

特にフィリピンで働いていた時間が長く、フィリピン在住にパッキャオ対リッキー・ハットン、パッキャオ対ミゲール・コット、パッキャオ対ジョシュア・クロッティ、パッキャオ対アントニオ・マルガリート、パッキャオ対シェーン・モズリー、パッキャオ対フアン・マヌエル・マルケス等を、観戦したからです。

パッキャオの凄さ

パッキャオは正に英雄です。赤ちゃん以外の全フィリピン人がパッキャオの事を知り、そして尊敬しております。

また、私はアメリカ在住時もアメリカ人やヨーロッパの人達からも有名で絶大な人気でした。アメリカ人は単純で、強い人や大きな人に立ち向かっていく男が大好きなので、正にパッキャオがアメリカ人のツボにはまったのでした。

ボクシングに詳しい方はご存じでしょうが、パッキャオが初めて世界王者になったのは、フライ級(50.8キロ以下)でした。そして、3階級上のスーパーバンタム級(55.34以下)、スーパーフェザー級(58.97キロ以下)とどんどん上げて行き、初めて世界王座に就いたフライ級より9階級も上のスーパーウェルター級(69.85キロ以下)まで駆け上がったのでした。

それも、マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレス、フアン・マヌエル・マルケス、オスカー・デラホーヤ、ミゲール・コット、シェーン・モズリー、アントニオ・マルガリート、フロイド・メイウェザー・ジュニア等、対戦相手のほとんどが超一流なのでした。

蛇足ですが、私は、フィリピン・セブ島在住時は、パッキャオの試合はいつもホテルの宴会場で大勢のフィリピン人と一緒に観戦したのですが、その盛り上がりは想像以上に凄かったです。

宴会場の外は、誰一人道路にはいないので(パッキャオの試合はほとんどのフィリピン人が観戦するので、通行人はいないです)、外と中のギャップに驚かされました。

加えて、ほとんどの対戦相手がパッキャオより大きく、アントニオ・マルガリートはパッキャオより約15センチ大きかったのですが、滅多打ちに遭い、眼底骨折を患い、病院送りにされたのでした。

パッキャオの人気の秘密

パッキャオの人気の理由は、強さだけではありません。

強いのに驕らず謙虚で、対戦相手を挑発せず常にリスペクトする姿、そして貧困層から這い上がった生い立ちもあると感じます。

パッキャオの生い立ちですが、ミンダナオ島南部の南コタバト州ジェネラル・サントスの初等学校を卒業しましたが、貧困のため中等学校を中退し(後に2007年2月に高校卒業認定試験に合格している)、家計を助けるため路上のパンや花や煙草を売っていたのでした。

フィリピンには、多くの貧困層の方がいるのですが、そのような人たちはパッキャオから生きる希望を貰っているといっても過言ではありません。

ちなみに、フィリピン人のもう1人のレジェンドのノニト・ドネアはさほど人気はありません。

理由は、フィリピン育ちでない(アメリカで育った)こと、クールな面、パッキャオのように打ち合わないので試合が興奮しない等です。

元世界王者のサポート

フィリピン・セブ島で働いている時、元WBA・WBC世界ミニマム級王者高山勝成選手と出会い、そのことがボクシングオタクへの道のりを加速させました。

2010年初旬頃だと記憶してますが、当時高山選手は日本ボクシング界を脱退し(当時JBCで認可されていなかったIBFとWBOの王座に就きたかったから)、フィリピン・セブ島の大手ジム(ALAジム)を拠点にしようとしている時に偶然出会い、セブ島での練習中はサポートするようになったのでした。

その時、ALAジムにはドニー・ニエテス(元世界4階級制覇王者)や元IBF世界ライトフライ級王者ミラン・メリンド、AJ・バナル、ロッキー・フェンテス(元OPBF東洋太平洋フライ級王者)、ジェイソン・パガラ等の世界王者、世界ランカーが大勢いたのです。

ALAジムのボクサーのほとんどは、アマチュアエリートでプライドが非常に高かったのですが、高山選手の練習量、真摯な練習態度や謙虚ながら負けず嫌いな性格、そして勿論強さもあって、高山選手を受け入れました。

そうした環境で、高山選手は必死にもがきながら練習をし、紆余曲折しながら(南アフリカでジョイに2度挑戦するも失敗)、2013年3月にIBF世界ミニマム級王座を奪取し、その後JBCがIBFとWBOを認可したことで、日本ボクシング界に復帰されたのでした。

コロナ禍でyoutubeスタート

その後、セブ島で働いていた中 コロナ禍でフィリピンでロックダウンの目に遭い、外出できない日が続きました。

会社も倒産し、やることがなくなり(家族がいたので日本にも帰国できない)、自分がよりボクシングを楽しめるよう、ボクシング動画を作ったり編集したのがきっかけで、2020年にyoutubeを始めたのでした。

このように、約10年の海外生活は、私にボクシングをより身近にし、さらにボクシングの沼にはまらせたのでした。

2020年より、youtube(ボクシングオタクCH)にて動画を配信しております
https://www.youtube.com/channel/UC7eJFH39fp6kV4JurRrQZrw
サブチャンネルはこちらです → https://www.youtube.com/@amazingboxingchannel2314

コメント

タイトルとURLをコピーしました