ボクシングの勝敗は強さだけでは決まらない
ボクシングの戦いは、お互いの実力や力量だけで決まるほど単純なスポーツ、競技、格闘技ではありません。
個人の強さ(攻撃力、防御力、スタミナ、耐久力等)に加え、試合前の練習でどれだけパフォーマンスを上げられるか、それと戦略が大事です。
今回は、戦略で勝敗を分けた伝説の一戦を紹介したいと思います。
伝説の試合の勝敗
今から30年も前の1994年、WBC世界バンタム級王者にに薬師寺保栄選手が君臨し、さらにその暫定チャンピオンは絶大な人気と実力を誇った辰吉丈一郎選手でした。
二人の王者が激突することになったのですが、当時はほんとんどのファンや関係者は辰吉選手が勝つと思っていたのです。辰吉選手の方が実績があり、格もはるかに上でした。
が、蓋を開けると薬師寺選手が見事に判定で辰吉を打ち破ったのです。
実際は辰吉選手の方が強いのですが、それ以上に両陣営の実力の差が大きかったのが結果となって表れたのです。
マック・クリハラ
この試合で、薬師寺選手の参謀で戦略を決めたのはマック・クリハでした。
マック・クリハラは、ポール・バンキ(WBCスーパーバンタム級)、薬師寺保栄(WBCバンタム級)、戸高秀樹(WBAスーパーフライ級)等、世界チャンピオンを6人育成した名伯楽です。
日本では1994年と1999年にMVPトレーナー賞を2回受賞しており、前述の薬師寺選手と戸高選手を育てたトレーナーとして国内で評価されております。
友人(ボクシング関係者)がマック・クリハラと親しかったのですが、友人曰「マック・クリハラはボクシングに関する全てい詳しかった」とのことでした。
マック・クリハラの指導
例えば、ランニングなどのコンデショニングは大学でみっちりと学び、栄養学を含むトータルコンデショニングの技術と理論にも習熟している。
だから、薬師寺選手の試合前のメニューは油・醤油・塩・胡椒・味噌・ソース・化学調味料等は一切排除されたまずい食事になったそうです。
さらに、ランニングも薬師寺選手と一緒にしていたようだし、酒・喫煙もしなかったようです。(ボクサーにしんどいことを押し付け、自分は酒・煙草と不摂生なトレーナーとは大違いです)
練習面はというと、基本的には長所を伸ばす方法だが とにかく基本にはうるさいようです。世界チャンピオンであろうと、フットワーク、パンチの打ち方、ジャブ(ジャブは様々なジャブがある)等徹底的にさせ、なぜ必要かをきちんと理論的に説明をする。
また、試合前はスパーリングの数が尋常でない量になり、かなりきつくなりますが、ピークの後は疲労を残さないよう計算が細やかなようでした。
伝説の試合での戦略
マック・クリハラは辰吉選手の試合はリチャードソン戦とラバナレス戦しか見ていないとのことでしだが、辰吉選手が4ラウンド以降失速することや左目がはれやすいことを見極め、そこからファイトプランを組み立てていったようです。
また、辰吉が左フックをよく打ってくる傾向があるので、それに対して左ジャブを最短で打っていくことや辰吉選手の連打の恐怖心を除く為(過去、薬師寺選手は辰吉選手にスパーリングで滅多打ちされた経験がありました)、ロスでは辰吉選手に似たタイプで階級が上のボクサーとスパーリングを重ねさせ、恐怖心を取り除いたようなのです。
その甲斐があって、辰吉選手の連打を硬いガードでブロックし、攻撃面では地味ですが左ジャブをコツコツあてて、辰吉選手の目を腫れさせて視界を狭くし、時折強い右パンチを当て、試合をコントールできました。
対して、辰吉選手側は大久保トレーナーが試合前から感情をコントロールできなくなって、薬師寺陣営に怒鳴ったり、また試合当日の試合前セレモニー時に親指をたて挑発をしたりし、セコンドを急遽外されました。
そうしたこともあり、マック・クリハラは「辰吉は才能はあるが、頭が足りない。フルラウンド戦うことを前提とした戦略をたてられない。構成力もない。攻めるだけで基本的な防御技術を使い分けることができない」と辰吉陣営を酷評したのです。
名コーチ・名トレーナー
パッキャオはフレディ・ローチと組んでから飛躍したし、イグナシオ・ナチョ・ベリスタインやアルトゥール・クーヨ・エルナンデスを見れば、トレーナーがいかに重要なのかわかるかと思います。
あと、中谷潤人選手を指導されているルディ・エルナンデスも名コーチです。中谷選手は、ルディ・エルナンデスの元で日々の濃密な練習をしているので、井上尚弥選手にどんどん近づいて行っていると感じます。
中谷選手と井上尚弥選手が激突する日もそう遠くはない思い、楽しみに日々過ごしてる今日この頃です。
コメント