50年前のボクサーが現代のボクサーより強い理由

最強世代(アリ時代と黄金の中量級時代)

1970年代のボクサーが最高レベル

ほぼ全てのスポーツは、現代のレベルが最高だと思います。

体格の向上、効果的な練習方法の確立、高パフォーマンスを発揮する食事、技術のアップ、道具や服装が進んで高パフォーマンスを生む、等が要因で今が1番レベルが高いという競技が多いのです。

しかし、ボクシングはモハメド・アリが多くのライバル達と鎬を削った1970年代が最高レベルだと感じます。

1970年代のヘビー級ボクサーの体格

体格に関しては、1970年代のヘビー級ボクサーは現代のボクサーにひけをとりません。

モハメド・アリは身長191センチで体重が90キロ~100キロ弱、ジョージ・フォアマンは身長192センチで体重が100キロ前後、ケン・ノートンが身長191センチで体重が100キロ弱、ジョー・フレージャーの身長が182センチで体重が100キロ弱、ロン・ライルの身長が191cmで体重が105キロ前後とかなり体格が良かったのです。

アリが世界王者になるまでの世界ヘビー級王者で、190センチより高かったのは199センチのジェス・ウィラード(体重115キロ)と197センチのプリモ・カルネラ(体重120キロ)のみでした。また、

ボクシングは他の競技や格闘技以上にスタミナとスピードが必要なので、大きければ良いという訳ではなく、理想とされる身長は190センチ前後で体重が100キロ前後と言われてますが、上記ボクサーはだいたい当てはまっているのがわかるかと思います。

運動神経が良く身体能力が高い選手が志した

現代アメリカは多くのスポーツがさかんで、運動神経が良く身体能力が高いアスリートは、アメリカン・フットボール、バスケットボール、野球、アイスホッケー等、様々な選択肢がございます。

しかし、1970年代はボクサーで成功すると大金を稼ぐことができたので、プロボクサーが人気の職業で、運動神経が良く・身体能力が高い多くのアメリカ人(特にアフリカ系アメリカ人)がボクサーを志しました。(50年前の1974年のモハメド・アリ対ジョージ・フォマンの試合のファイトマネーはお互い約18億円ずつでした)

例えば、1970年代に活躍したケン・ノートンは高校時代に陸上競技とアメリカンフットボールの選手として注目され、大学にスポーツ奨学生として入学しました。しかし、その後プロボクサーになりました。

技術に関しても、モハメド・アリをはじめとした当時のヘビー級ボクサー達は、現代のヘビー級ボクサーと技術がさほど変わっていないと感じますし、モハメド・アリ以上の技術を持ったボクサーは、ヘビー級においてはいないと感じます。

昔のボクシングは素手で殴り合っていた

ここから、ボクシングの技術の向上についてボクシング史とともに、簡単に紹介させて頂きたく思います。

1842年にトーマス・マッコイvs. クリストファー・リリーが戦いましたが、当時アメリカのボクシングは、素手で殴り合い、投げ技が容認され、ラウンドも無制限でした。試合は120ラウンドまで続き、マッコイがリング上で動かなくなって、試合は終了しました。

その後、1865年に現代ボクシングの基礎となるルールであるクイーンズベリー・ルールが制定されました。クリーンズ・ベリールールを簡単に言いますと、以下のようになります。
「1ラウンドを3分でインターバル1分」、「5オンスグローブ着用」、「投げ技の禁止」、「10カウント以内に立ち上がれない場合はKO負け」「反則の制定:ベルト以下への打撃の禁止、腰より下の抱込みの禁止、倒れた相手への攻撃禁止、蹴り技、頭突き、目玉えぐりの禁止」

クイーンズ・ベリールールが定められ、それまでの素手での殴り合いからグローブ着用(5オンス)となりました。

補足ですが、以下現代のグローブの大きさを記載いたします。
男子はミニマム級からスーパーライト級まで片方8オンス(227グラム)、ウェルター級からヘビー級までが10オンス(283.5グラム)

クリーンズ・ベリー・ルールが定められた頃のボクシングは、お互い足をとめての殴り合いでした。だから、よりパンチ力があり、より頑丈なボクサーが勝ち、初代王者のジョン・L・サリバン(身長179センチ体重96キロ)はその典型的なファイターでした。

1858年生まれのサリバンは、「ベアナックル」時代でも戦っていたのですが、その当時は、蹴り技はあまりなかったようですが、目つぶし、金的攻撃、首絞め、ダウンした相手への攻撃等は日常だったようです。

ジョン・L・サリバンは、グローブ着用ルールでも無双していましたが、ジェームス・J・コーベット(身長180センチ体重80.7キロ)がジャブやフットワークを駆使した戦法で剛腕サリバンを翻弄し21RにKOしました。(フットワークを使ったコーベットは卑怯者と呼ばれました)

その後、フットワークが使われて行きますが、当時のボクシングの映像を見るととても稚拙で退屈に感じるかと思います。

グローブが小さいので一発が致命傷となる為、なかなか打ち合わないし、クリンチがやたらと多く、綺麗なコンビネーションパンチは見られない。

拳聖がボクシングを変えた

しかし、シュガー・レイ・ロビンソンが革命を起こしました。

多くの評論家やファンが、全階級を通じて史上最高のボクサーと認めているのが「オールタイム・パウンド・フォー・パウンド」、シュガー・レイ・ロビンソンなのです。(歴代ウェルター級最強のシュガー・レイ・レナードは、尊敬するシュガー・レイ・ロビンソンにあやかって、シュガー・レイを名乗った)が、1940年代半ばにおいて、リズミカルなフットワークや多くのコンビネーションパンチを駆使し、同時代を生きた強豪とことごとくグローブを交え、そのほとんどを打ち破りました(ロビンソンは、アマチュア時代は85戦全勝)

シュガー・レイ・ロビンソン 201戦174勝(109KO)19敗6分2無効試合
元世界ウェルター級・世界ミドル級王者

ロビンソンは、それまでの野蛮なボクシングから脱却するために以下のテクニックを用いました。
・リードブローの多用
・流れるようなフットワークの活用(それまでのフットワークとは雲泥の差)
・コンビネーションブロー(上下の打ちわけが巧みでした)
・リズミカルなボクシング

そして、ロビンソンの芸術的な試合を映像が世界に広め、ボクシングの技術が高まりました。(アメリカで初めてボクシング中継されたのが1938年)

モハメド・アリがさらに技術を高めた

ロビンソンが引退した前年の1964年に世界ヘビー級王座に就いたのは、モハメド・アリ(当時の名前はカシアス・クレイ)でした。

モハメド・アリ 56勝37KO 5敗
元世界ヘビー級王者

アリはロビンソンの芸術的なボクシングを更にレベルアップさせ、蝶のように華麗なフットワークと、蜂のように鋭い左ジャブを活用するアウトボクシングをヘビー級に持ち込みました。

アマチュアではローマオリンピックで金メダルをとり、プロでは通算3度のヘビー級王座の奪取と19度の防衛を成し遂げております。

1970年代のヘビー級は史上最高レベル

アリはベトナム戦争を反対しアメリカ政府と戦ったため、世界王座を剥奪され25歳の全盛期から3年半ブランクを作り、復帰後はかなり衰えておりました。

しかし、皮肉にも衰えたからこそ実力が伯仲し、ジョージ・フォアマン、ジョー・フレージャー、ケン・ノートン、ロン・ライル、アーニー・シェーバース等と名勝負を演じ、多くのボクサーの目標となりました。


アリのことをわからない方には、アリの影響力がピンと来ないでしょう。

私もそうでした。しかし、アメリカ在住時にある雑誌で歴代アスリートランキングでアリが1位だったのを見て、衝撃を受けました。(2位はベーブ・ルース、3位はマイケル・ジョーダンだったと記憶します)

さらに、1974年から1980年にかけて、アリの1試合の視聴者数は推定10億から20億人を記録しました。

そんなアリを目標にしたヘビー級ボクサー達の多くは身体能力に秀で、さらに「アリと戦う」「アリに勝利する」といった大きなモチベーションがあったので、最強世代へと加速させたのでした。

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