世界を取れなかった天才ボクサー

天才やテクニシャン

多くの天才ボクサーが世界王座を取れなかった

かつては階級や団体が少なかったので、世界王座を獲得するのは困難でした。

オリンピック金メダリスト、高校王者等天才ボクサーですら、プロ・ボクシングの世界チャンピオンになるのは、難しく、中には世界王座に挑戦すらできず、全勝や無敗のまま引退したボクサーもいたのです。

金光善

6勝4KO 2敗
1988年オリンピック・金メダリスト

金光善はアマチュア時代142勝6敗の戦績を誇り、1988年ソウルオリンピックをはじめ9つの国際大会で優勝した、才能溢れるボクサーでした。

プロデビューの時には、既に世界ランカーの実力を備え、すぐに世界王者になれると期待されましたが、当時のライトフライ級の世界王座はウンベルト・ゴンザレスとマイケル・カルバハルといった、歴代ライトフライ級最強の2人が君臨しておりました。

2年間のブランクを経て1990年にプロデビューした金光善は5戦全勝し、僅か6戦目にWBC世界ライトフライ級王者ウンベルト・ゴンザレスに挑戦しました。

当時ゴンザレスは33勝1敗の戦績で安定王者でしたが、金光善は得意の接近戦に持ち込んで回転の速い連打を放ち、ペースを握りましたが、最終12Rに止めを刺され世界王座戴冠はなりませんでした。

その後、マイケル・カルバハルにも挑戦しましたが、7Rに強烈な左フックで金光善は倒され、金光善の夢は潰え去り、この試合を最後に、プロ戦績は僅か8戦で引退しました。

桜井孝雄

30勝4KO 2敗
1964年オリンピック金メダリスト

アマチュアで138勝 した桜井孝雄選手は1964年東京オリンピックで金メダルを獲得し、鳴り物入りでプロデビューしました

プロ入り後22連勝し、デビュー3年で世界バンタム級王者ライオネル・ローズに挑戦しましたが、惜しくも判定で敗れ、翌年1969年5月ミスターノックアウトの異名をもつルーベン・オリバレスと世界王座挑戦者決定戦を行いました。

サウスポーのテクニシャン桜井選手は序盤にダウンを奪いましたが、50勝49KOのオリバレスは荒々しい攻撃を敢行し、桜井選手は体力を消耗して行きました

ほとんどの試合をKOしているオリバレスの攻撃は凄まじく、桜井選手は6Rにどんどんダウンを奪われ、世界に届かなかったのでした。

田辺清

元日本フライ級王者、21勝5KO1分
ローマオリンピックの銅メダリスト

田辺選手はアマチュアで115勝5敗、しかも東京オリンピックの金メダリストの桜井選手にも勝利していました。

プロデビュー後、21勝1分と無敗のまま引退したのですが、最後の試合は、当時の世界王者オラシオ・アカバリョ(73勝1敗)との一戦でした。(ノンタイトル戦)

この試合の前に、名トレーナーのエディ・タウンゼントが田辺陣営につき、それまでの防御型のスタイルから攻撃型のスタイルへと変貌をとげました。

スピードに勝る田辺選手は、3Rに王者からダウンを奪いました。続く第4Rにも連打からの右フックでダウンを追加しました。

そして第6Rにレフリーが王者の出血を見て試合をストップし、田辺選手は見事に世界王者をTKOしたのです。

ノンタイトル戦で世界王者を破った田辺選手、5か月後にアカバリョとの世界タイトルマッチが決まりました。

しかし、世界戦にむけてトレーニングをしていた田辺選手に悲劇が起きたのです。右目の視界が遮断されて、田辺選手の景色は灰色の世界になり、病院で手術を受け“網膜剥離”と診断されたのでした・・・

サーシャ・バクティン

元日本・OPBF東洋太平洋バンタム級王者
31戦全勝12KO

ロシア人のサーシャ・バクティンはアマチュア・エリートとしてヨーロッパ・ユース選手権の優勝等の実績を誇り、プロを目指して来日しました。

サーシャは攻撃も防御もハイレベルで、特に距離感が抜群で、長い距離から左ジャブを鞭のように放ち、対戦者を中に入れずに 一方的に攻め立てる試合展開が得意でした。

サーシャの左ジャブは、長くて速いだけでなく、初動がないので、よけることが困難で、ほとんどの対戦者は被弾を続け、じわじわ弱って行くのでした。

デビューから2年余りで日本王者になり、日本王座を9度防衛しましたが、サーシャが強すぎた為世界王者から敬遠され、結局世界戦を一度もできず、31戦全勝の戦績の残し引退しました。

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